元彼が結婚したらしい(後編)

顔が重い。顔が火照り、浮腫を感じる。化粧がほとんど落ちてしまった顔を擦る。家に着くまで30分。手はアイラインやらマスカラやらで真っ黒になっている。

 

午前3時。静かな車内の中、私はケータイを取り出し、LINEを開いて友人に電話をかけた。家に着くまで30分。軽快な呼び出し音の後、私は笑みを浮かべて話し始めた。

 

📞「聞いて〜!ついに別れたわ!超喧嘩した!めっちゃ泣いた!!ウケる〜!!!」

 

タクシーの運転手さんもきっと察していただろう。マンションの前で立ち竦む男の姿。私が彼の方を一切見ないでタクシーに乗り込んだその意味。私の顔が土偶のように腫れ上がってるのを見て、ビンゴ。

 

さっきあったことをそっくりそのまま、私は話し始めた。

 

📞「それでさ、私訳わかんなくなっちゃって、親友に電話したのよ。そしたら、『あなたは間違えてないから、大丈夫』って言ってもらって。それでさ!全部どーでもよくなっちゃったんだよね!全部終わらせてやる!って思ったの。」

 

 

 

彼の家に着いた。お互いの顔が見えるように座った。さっき食べたモツ鍋がやけに重たく感じる。

 

「あのね、もう一年になるから言うけど、私あなたと結婚したいと思えない。」

 

彼の顔が曇る。

 

「じゃあなんで俺と付き合おうと思ったの。結婚前提にって言ってたじゃん。」

 

「私がこのまま結婚しないって言い続けたらどうするつもり?」

 

「うーん。他の人を探すかな。」

 

「そっか。結婚がしたいだけなんだね。」

 

「いや、俺は、お前のことが好きで結婚したいって言ってるんだけど。」

 

「嘘つき。誰でもいいくせに。」

 

「それはお前の思い込みじゃん。」

 

私じゃなくてもいいって思っているくせに。

結婚できれば誰でもいいくせに。

そういう扱いをされてるんだなって、全部分かってるのに、どうして認めようとしないわけ。この一年の不満が全部爆発し、途端に言い合いになる。

 

堂々巡り。鼻で笑いながら次々に言葉を返す彼。私を傷つけるために繰り出される言葉。否定。伝えたいことを一つ一つ伝えようとしても、全く持って伝わらないどころか自己保身の言葉で跳ね返される。喧嘩の度に私が伝えていたこと一つ一つ、彼にはまるで伝わっていなかったみたいだ。

 

「お前の勘違いだ。お前がおかしい。お前が悪い。」

 

容赦なく繰り返される否定の言葉の数々。この1年間をすべて否定されているような気がして、私はたまらず大きな声を上げて泣いた。ティッシュで拭いきれないぐらい泣いた。もう訳がわからなくなってしまった。何が伝えたかったのかも、分からない。

 

そうか、私が間違っているのか。彼が全部合ってるのか。私が謝れば、すべて済むのだろうか。

 

「じゃあ、私が全部悪いってこと?それでいいわけ?」

 

「そしたら俺が全部悪いってことにすれば?」

 

もう駄目だ。この人に何を言っても伝わらないんだ。最愛のはずの彼女が、我をなくして泣きじゃくっているのに、自己保身に走る彼。何が正しいのかも分からなくなり、たまらず彼から離れて部屋の片隅にうずくまった。ケータイを手に取った。LINEを開いて親友に電話をかけた。

 

📞「私、間違ってるのかな。彼が言ってることが、全て正しいのかな。もう分かんなくなっちゃったよ。」

 

📞「大丈夫。話聞いてる限り、あなたは間違ってないよ。ただ、別れるかどうかは勢いで決めちゃだめ。ちゃんと考えてから決めな。」

 

📞「分かった。私決めた。別れるわ。」

 

📞「いいの?」

 

📞「うん。もう好きじゃないから。気持ちなくなっちゃった。」

 

我に返った彼が私の鼻水と涙にまみれた手を握って心配そうに見つめていた。ごめん。ごめん。と何度も何度もつぶやいていたが、私はその手を触らないで。と振り払った。私は至極冷静になっていた。

 

「ごめん。もう一度話させてくれないかな。」

 

「いや、もう私帰るから。タクシーで帰るから。」

 

午前1時半過ぎ。

 

「危ないから始発来るまでいなよ。」

 

「あなたと一緒に朝までいたくない。」

 

同じ空間にいることが気持ちが悪い。赤の他人と急に同じ部屋にされたような気分だ。もう彼の何もかもが受け付けない。早く家に帰りたい。その一心でタクシーの配車をした。

 

「タクシー着いたみたい。じゃ。」

 

私は扉を閉め、一人でエレベーターに乗り1階に下がった。後ろから足音が聞こえる。振り返ることはなかった。

 

タクシーに乗り込むと、彼が遅れて外に出たのを見た。お札を握りしめていたが、私に渡したくないからギリギリをせめて降りてきたのだろう。そういういいところだけを見せようとする態度が大嫌いだった。

 

 

それからというもの、私のLINEに何度も連絡が来たり、妹や親友にまで「もう一度話せないか」とLINEが来たらしいが全部無視した。私の文句を並べた私への謝罪文をインスタのストーリーに載せていたらしいが、見ていた親友は「これ、私があなたに共有すると思ってわざと出してるだろうから、あえて共有しないようにするわ。あなたの悪口ばっかりだし、さも自分は悪くないって言いたげな文章だったよ。」と言っていた。

 

後日、本人からそのストーリーのスクショが送られてきたが、私の悪口が10行ほどと、最後に謝罪の文が2行ほど書かれていただけだった。私が嗚咽混じりに伝えようとしていたことは、この時になっても全く伝わっていなかった。全てのSNSをブロックした。もう一切関わりたくなかった。

 

 

 

時が経つのは早いもので、最近年が明けたと思ったらもう2月だ。去年はこの時期何してたっけな〜。ちょうどあいつと別れてから1年以上経つのか。

 

今日もいつも通りアプリを開く。昨日は「独身最後の晩御飯」って載せてたので、今日は特大ネタが上がっていると思った。

 

「本日、2022/02/02 いい夫婦の日に入籍しました」 5時間前

 

私と別れた1年後、彼は結婚した。

「結婚と結婚した」のほうが正しい表現だろうか。

 

私は知っている。彼は相手のことなどどうでも良く、結婚したかっただけの人間だということ。1年かけてそれに気づき、別れを決断した。

 

コロナ感染者数が増えている中、前日に高熱を出していても式場見学に行っている投稿を見て、彼らしいなと思った。それを止めない婚約相手の女性は、私よりもずっと彼に似合っているなと思った。私は彼のそういうところが許せなかったから。許せるあなたは彼に相応しい。

 

 

 

 

末永くお幸せに。